【ー祈りと宇宙ー 小倉尚人展】
@大阪高島屋7階グランドホール 2021.03.24〜04.12
世に知られることなく、知られそうになるとその身を隠して、なお画業に励んだ画家・・・というイメージを持ちました。
それと曼荼羅を抽象的に捉えた作品にとても興味を持ちました。
描くことがそのまま修行のように
生きることがそのまま描くことでした。
30歳手前で不治の病を宣告されます。
そして欅の木の下で誰かに後ろから身体を掴まれるような感覚。
たとえばそれは欅の精霊に・・・でしょうか。
ちょうど曼荼羅を製作中で、
もはや生きる死ぬを考えなくなった頃の不思議な体験。
その欅を描いた絵は『五日市街道の欅』となり、
ちょうど下から見上げる角度で書かれています。
本当にそんな体験が起きるかもしれない・・と思わせる樹齢の長い欅です。
小倉は欅から何かのメッセージを受け取ったのかもしれません。
小倉は完成した作品を菩提寺のあるお寺に数多く納めています。
ここの部分にワタシには何か若冲を思わせるものがあります。
名声や収入とかではなく、描くことそのものを大事にしていたこと。
そして信仰とは違う祈りの気持ち。
曼荼羅を納めた福島県岩尾寺の修行では曼荼羅のうちの一枚に集中して瞑想をしていると、やがて別のものが見えてくるそうです。これがそうなのか?宇宙なのか?と感じるのだそうです。なんだかスゴいですよね☆
ワタシも会場でやってみましたが・・・
まだまだその境地には達してませんでした💦
「まる」の形は初めて絵を描くときに描く最初の形だそうです。
そして曼荼羅の漢訳は円・球体を表しているのだそうで、
この二つはどこかで繋がっているように思いました。
病の宣告から約30年・・・小倉は、ついに体調を崩します。
自らの余命を悟り、30年ぶりに病院へ行くと、その数ヶ月後に亡くなります。
「30年ぶれなかった」「30年、時間をもらった」と残しています。
もし、途中で絵をやめたり、描いても俗にまみれたりしていたら、
欅の精霊との約束は果たされず、こんなに長くは生きられず絵も描けず、
病に蝕まれて人生を終わっていたかもしれないな〜と、
「もしも」のもうひとつの世界を想像してしまいます。人の生き死にとは何に支えられているかで変わるのだろうな・・と思いました。
描いた本人はいなくなっても作品は残ります。残した作品を観ることで画家の人となりを知ることができ、それを観て、またいろいろ思ったり考えさせられたりします。今展はそんなことをより強く思うことになった機会でした。